●1950年代、急斜面の山を開墾
1950年代、当時の特殊学級の中学生たちとその担任教師(川田昇 かわたのぼる:1920年12月18日-2010年12月17日)によって開墾されたこころみ学園の葡萄畑。足利の北の山にあるこの葡萄畑は平均斜度38度の急斜面です。なぜこんな山の奥に葡萄畑を開墾したのでしょう? それは、一介の教師には、平らな土地に農地を得ることができず、山奥の急斜面を開墾するしかなかったからでした。
しかし、このこころみ学園の葡萄畑は、南西向きの急斜面であるため陽あたりがよく、水はけがよく、葡萄にとってなかなか良い条件です。また、この急斜面は葡萄の生育によいだけでなく、障害を持ってかわいそうと過保護にされ、あてにされることもなかった子どもたちにとっても、大切な役割を果たしてきました。
葡萄畑の南側から草を刈りだして、葡萄畑の北側が刈り終わる頃には、また南側の草が茂ってきます。また南側から草を刈りだして、葡萄畑の北側が刈り終わる頃には、またまた南側の草が茂ってくる・・・。除草剤を撒いてしまうと、子どもたちのやることがなくなってしまいますから、この葡萄畑は開墾以来、除草剤を一切撒いたことがありません。除草剤を一切撒かない葡萄畑にはいろいろな草花がしげり、たくさんの虫が寄ってきます。その草花や虫たちを求めてたくさんの鳥たちもやってくる葡萄畑。秋になると葡萄の実を狙う鳥を追い払うために、朝から晩までカンをたたくという仕事が必要になります。 こうして365日やってもやってもやり尽くせない仕事を用意することができました。
●地道な農作業を続けて
知恵が遅れているから何もできないと思われ、何もやらせてもらえなくて赤ん坊の手のようだった少年たちの手は、毎日葡萄畑にいるうちに、たくましい関節のある農夫の手になってきました。都会の自宅で、夜中にあばれて、家のガラス戸を全部割ってしまったという少年が、この急斜面をみんなについて登って降りてしていくうちに、お腹がすいてちゃんと食べて、ぐっすり眠って・・・この山の急斜面は、葡萄のためだけでなく、知的な障害のせいで自分自身をコントロールできないでいた子どもたちが、心身を安定させていくためにかけがえのない役割を果たしてきました。
またこの急斜面には車両や大型機械が入りませんから、何でも人間の手でやらなければなりません。今、世界の自然派と呼ばれるワインづくりの人たちは「葡萄畑の一番いい肥料は農夫の足音だ」と言っています。重い車両や機械はその重みで土を固く踏み固めてしまい、水や空気の通り道をつぶしてしまうのです。ここの農夫たちは葡萄畑の虫をひとつひとつつまんで取り除いたり、病気になってしまった葉っぱや粒を一枚一枚丁寧に拭いたり取り除いたり、また、葡萄の一房一房に笠をかけたり・・・。 急斜面のため人間の手でやるしかないこつこつとした農作業が、上質なワインを生み出す手がかりになっているのかも知れません。
<困難を魅力にかえた葡萄畑、3つの特長>
- 貧しくて平らな農地が手に入らず、やむなく開墾した山の急斜面は、陽あたりや水はけがよく葡萄にとってなかなかよい条件であったこと。
- 山の急斜面で、炎天下に草を刈り、寒風のなか、剪定後の枝を拾う農作業は、暑い我慢、寒い我慢を通して少年たちの耐久力を鍛え、急斜面での移動は屋内や平所では養えない臨機応変の注意力をよびおこすこと
- 急斜面なので大型車両や重機が入らないため土がやわらかく、除草剤を一切撒いたことのない健康な土は、微生物をはじめ、草花や、虫や鳥や、動物や人間など、さまざまな命をはぐくんでいること。
●自家畑 栽培データ
【エリア】
こころみ学園の葡萄畑をはじめとする、5つの自家畑は、栃木県南部の足利市と佐野市に位置しています。北緯 36°21~22′ 東経 139°28~31′ 海抜 50~200m。自家畑の総面積は約6ヘクタールです。
【栽培品種】
自家畑では、マスカット・ベーリーA、リースリング・リオンなどの日本固有の葡萄品種や、プティ・マンサン、ノートン、タナ、ヴィニョール、カベルネ・ソーヴィニョンなど、世界的な葡萄品種を栽培しています。いずれも北関東の気候風土にあった適地適品種のワイン用葡萄品種です。
【土壌】
山の南西斜面を開墾した畑。礫(こいし)混じりの20cm~100㎝ある壌土の下は、根が入り込むことが出来る砕屑岩(さいせつがん)類、チャート、玄武岩 (げんぶがん)、メランジ (melange)などで構成された頁岩(けつがん:shale)からできています。これらの岩石は、ジュラ紀に海溝の底に溜まった岩石が地殻変動により押し上げられて形成されたものです。ジュラ紀の岩と岩の間にしっかり根を張る葡萄の根は、こころみ学園の自家畑の特徴です。
【気候】
6月中旬から7月中旬、さらには9月中旬から10月中旬雨が多い気候です。
年間雨量1100mm~1300mm。年間平均気温15.1℃。 4月~10月の積算温度2270℃。
剪定の冬は空っ風(からっかぜ)が強く吹きます。こころみ学園の自家畑は「字小松沢」というように、小さな松しか育たず、もともと自然に収量制限が可能になるような痩せた沢でした。この斜面にかじりついて、葡萄も葡萄のカラス追いも、夏の西陽を受けながら収穫の時を待ちます。
【ポテンシャル】
このような特殊な母岩を持つ畑に育った葡萄でできるワインには、他のエリアでは感じることができない奥行きを感じることができます。適地適品種の考え方から、無理をせず、自然な農業が可能になるような葡萄品種を選んで育て、葡萄がゆっくりと完熟するまで収穫を待ちます。収穫は全て人間の手でおこない、選果も一粒一粒おこなう丁寧さが、この土地ならではのテロワールや味わいを反映しています。
●気候変動のなかで
地球規模の気候変動に直面してきた私たちは、1950年代に開かれた足利の葡萄畑に気候変動に対応した葡萄品種を植えています。また適地適品種の葡萄栽培を可能にするため、2017年「農地所有適格法人こことある」を設立。2018年、北海道岩見沢市栗沢町茂世丑(もせうし)で、2020年山形県上山市三上の松沢地区で、自家畑の開墾をはじめました。北海道や山形で、地元の農家さんたちにご協力いただきながら、栃木県足利市や佐野市の自家畑での葡萄栽培やこころみ学園でのワインづくりを支えるためのこころみがはじまっています。