九州・沖縄サミットと NOVO

2000年夏、九州・沖縄サミットの首里城の晩餐会でNOVOが乾杯に採用されるまで

こころみ学園のワイン醸造場の奇蹟

今世紀最後のサミットが、今年2000年7月沖縄で開催された。最後の晩餐会が7月22日夜、森総理主催で首里城の北殿で行われたが、その模様をテレビの前で固唾をのんで見守っている人々がいた。それは、こころみ学園の川田先生や学園に併設されたワイン工場の醸造技術者のブルースさんたちだった。

その日より3日前の7月17日の朝日新聞一面に『ピュアな心の手作りワインサミットへ』という見出しで『栃木県足利市の知的障害者施設「こころみ学園」の醸造部門が製造するワインが、九州・沖縄サミット(主要国首脳会議)の食卓を飾ることとなった。(以下略)』が掲載された。以来大変なこととなり、てんやわんやの騒ぎとなってしまった。

今となってはこの奇跡のような出来事は楽しい思い出のようにさえ思えるが、その時は大変な状況だった。

そこでちょっとだけこのワインづくりにかかわった者として、この「奇蹟の軌跡」をほんとうの当事者でない私の目から報告しておくことも多少の意味があろうかと考え筆をとった。

[自前でつくったこころみ学園]

いまから43年前、当時中学の特殊学級の教員だった川田昇先生と特殊学級の子どもたちが2年がかりで勾配38度の急斜面3ヘクタールを開墾。その10年後、手づくりのバラックで先生以下9人の職員が寝起きしながら、市・県・国の補助金を受けず、自分たちの手で学園の施設づくりを始め、1969年30名収容の「こころみ学園」が誕生した。

当時の青年会議所の有志を中心に地元企業のアキレスの会長、殿岡利雄さんを理事長に、「社会福祉法人こころみる会」が発足、知的障害厚生施設として正式にスタートした。

[ワインづくり、ブルースさんの加入]

当初は、園生の自立を目指し、葡萄と椎茸の栽培や市内の企業で働く等してきたが、1980年に園生の就労と治療効果を目的に、賛同する園生の父兄の出資による有限会社ココ・ファーム・ワィナリーを設立。ワインづくりを開始した。

「日本で日本のワインをつくろう」という夢を持ったデービス校出の米国人醸造技術者ブルース・ガットラヴ氏が数ヶ月のコンサルタントのつもりでワイナリーを訪れて「障害をもったひとたちといえども本物のワインをつくらなければならない」という信念を持った川田先生と、あまりにもピュアな園生たちに出会い、共感し、こころみのワインづくりに加わり以来10年以上の歳月が過ぎた。そしてその間すばらしいワインがつくられ、今日では国際的にも高い評価を得るにいたった。

最初は学園内の一室に寝起きしていたブルースさんも今では、日本人のお嫁さんをもらい日本に住んでいる。

[スパークリングワインをつくろう]

川田園長に新しい一つの夢が生まれた。それはこころみ学園のワイン工場ココ・ファーム・ワイナリーでシャンパン方式によるスパークリングワインをつくりたいということだった。シャンパンは日本では結婚式の乾杯に使われるぐらいで、いまだなじみがうすいが、欧米では最も人気のあるお酒で、それも楽しいことやすばらしいことがあったときの祝いの酒でもある。なによりも、その透明で泡立つ酒は人々に喜びと勇気をあたえる。シャンパンはマドリッド協定という国際協定で、フランスのシャンパーニュ地方でつくられたもの以外はシャンパンと称してはいけないことになっている。だから日本ではシャンパンは泡立つワイン「スパークリングワイン」と呼ばれており、なかにはワインに炭酸ガス(発泡剤)吹き込んだりして安価に販売されているものもある。

先生の考えているものは違っていた。ほんとうにシャンパーニュ地方で昔からつくられている方式で本格的なスパークリングワインをつくりたいという夢であった。本格的なシャンパンは、ワインをそれぞれの瓶の中で二次醗酵させる、つまり一つ一つの瓶が独立した小さなワイン工場になるわけだ。手がかかり過ぎ普通の企業ベースでは採算がとれない。しかし、だからやろう、障害をもったこどもたちが採算づくでなく、本物を手間隙かけて、馬鹿正直につくろうということだった。

幸い世界各地でワインづくりにかかわってきたブルースさんがいる。鬼に金棒である。「2000年に2000本のスパークリングワインをつくり世紀末と新しい世紀に乾杯しょう」もう先生の夢はどうにも止まらない。しかしそう簡単にはいかない。まずワインを二次醗酵させるために一定の温度のもと(2~8年間)ワインを貯蔵するスペースがいる。それに日本では入手できない瓶、コルクやワイヤー。機械というよりは手作りのための様々な道具も全てフランスから輸入しなけばならない。お金がいる。その頃もう先生の夢に魅せられてしまっていた私は「銀行からお金を借りましょう。国民生活金融公庫に話しましょうか」ととっさにいった。先生の答えはノーだった。借金はしたくないということだった。たしかにもし金融機関に話を持ち込んでも断られたに違いない。なにしろこれから6年先に、ほんとうに出来るかどうか分からない、何の保障もない幻の酒に誰がお金を貸すだろうか、しかも採算ベースにはのらないこともはっきりしている。
その時ハタと思い出したことがあった。私が学生時代だから、今から40年以上前だと記憶しているが、月の土地を売り出したやつがいる。勿論アポロの月面着陸以前である。

月の土地の権利書を発行するのだ。なんの根拠も保障もない。無責任極まりない、しかし当時大変話題になった。そしてなぜか腹立たしいというよりはなにか幸せな気持ちに包まれた。あの時はみんな夢を買ったのだろうとおもった。その時私は大変失礼だったが、ココ・ファームのスパークリング・ワインも、この程度のものだと思った。しかしそんなことをまともに言ったら、先生も気を悪くするだろう。そう考えていたらちょうど良いのがあった。林野庁でやっている緑のオーナー制度というやつだ。ある種の投資の実益と森林保護という公益につくすという観点からかなり人気のあるもののようだった。一口10万円ぐらいで、若干の利益配当もあり相続もできるらしい。この話をワインづくりに応用できないかと考えた。そうだシャンパン方式のスパークリングワインづくりという夢を買ってもらおう。しかし林野庁のようにたしかな保障はない。まあ相手が飲兵衛だから、良い酒をつくる夢に金を惜しむまい。うまく行かなくても「酒のうえのできごと」なんて勝手な論理でシャンパンづくりに参加してもらう会員を募集することとした。

[陽はのぼる・NOVOチームの発足]

ココ・ファームでつくるシャンパン方式によるスパークリングワインの名前はNOVOに決まった。NOVOは「日は昇る」の「のぼる」であり、川田昇先生の「のぼる」でもある。

いよいよ夢づくり、酒づくりのノボ・チームが発足した。キャッチコピーは「陽はのぼる、美しき泡たちのぼる。NOVO…のぼ…夢追人たちの美酒」。会費一口10万円(1回のみ)で、1995年から2000年にかけて6年間毎年NOVOを4本づつ届けるというシステムだ。これは勘定だかい飲兵衛ならば大儲けだと喜ぶはず。なにしろ手づくりの本格的なシャンパンだったら1本1万円をくだらない。すごいのになると数万円から数十万円もする。10万円で6年間24本ということは、1本4,000円強だ。しかも利息をもらったり、なにかをのこしたりということに関係なく、飲んでしまうのだから最高の贅沢というもんだ。しかし、保障はない。一本一本がワイン工場なんだから、なかには開けたら泡のたたないのがあるかも知れない。そんなリスキーさが飲兵衛にはたまらない。もしそんなことに出会ったらそれこそ「ラッキー」といって泡のたたないワインで乾杯すれば良いなどと、未だ実現への不安を払拭できない自分への言い訳も含めて、友達にすすめまくった。酒好きの知事さんにも加入してもらった。

勿論私自身も加入したが、その年孫が生まれ、その誕生日に一口。翌々年また二人目の孫が生まれて一口といった具合。これには墓穴を掘ったエピソードがある。加入者が増えてきて調子に乗り、最初に薦めたのに言を左右にぐずぐずして入らなかったやつの見せしめに2年目から一口12万円にした。そうしたら天に唾するものの例えどおり、二番目の孫娘の時にはまんまと値上げが降りかかってきた。

[トンネルを掘る]

ともかくお金の方はなんとかなってきた。今度は設備だ。まずは四季を通じて一定の低温度を保つ空調設備の整った貯蔵庫と工場だ。そうしたら、これもびっくりした。ワィナリーで削岩機を買ってトンネルを掘り出した。これはさすがに途中からは本職に変わったが、短期間に掘り進めて途中岩盤にぶつかり方向を中間から横に向け、T字型の立派なトンネルを完成させてしまった。しかもこの内部は四季を通じて13度、湿度も適度で自然がつくる素晴らしい空調完備だ。製造に必要な機材も続々と搬入され、瓶の口にたまった澱を凍らす機械やコルクやワイヤーを閉めるもの、どちらかといえば道具といったほうがよい手動の機械がそろった。

[修道士たちのワインづくり]

トンネルの奥に二次醗酵を続ける緑色の瓶がぎっしりと積み上げられている。その手前に瓶内醗酵による澱を集めるためのたくさん穴のあいたパネル(ピュピートル)が向かい合わせに建てかけてある。このパネルを使って瓶を毎日きまった角度で回していき、さらに瓶の斜度を変えながら徐々にたてていく作業を園生が黙々とやっている。西洋では昔修道士たちがワインづくりをしていたといわれるが、ここの園生たちは、普段は滅法明るい農夫の修道士だ。しかしこのリドリング(動瓶:ルミュアージュ)の作業に関しては妙に寡黙になる。このとき自閉症が才能になるのだ。

これが川田先生の言う障害をもったこどもたちが採算づくでなく、本物を手間隙かけて、馬鹿正直につくろうということだったんだなあとつくづく納得した。

こんな風にココ・ファームのスパークリングワインNOVOは順調な歩みをはじめた。最初のコルクとワイヤー掛けは大変だったらしい。なにしろ瓶の圧力は大型トラックのタイヤの空気圧ぐらいだというから、みんな防御メガネをかけて、でも失敗すると頭からシャンパンを浴びてお祭り騒ぎだったという。

最初のNOVOがあけられ、シャンパングラスに注がれたとき、不覚にも涙が出た。細かい泡が踊るようにいつまでもいつまでも立ち上る。その泡がまるで天使の光輪のようでキラキラ輝いていた。

天使の光輪(halo)

まちを通りぬけた山あいのワイナリーで
今年の5月
初めて三鞭酒ができた
この発泡する透明な葡萄酒の発祥は
昔 西欧で盲目の修道士が
瓶のなかで再醗酵したワインを
誤って賞味した時からだという
樹々と西陽のもつ治癒力を信仰し
楢、椚の森と空を写す沼のある谷
その西斜面に葡萄畑と醸造所が
つくられてもう半世紀近くなる
農夫の顔をしたここの修道士たちは
太陽と土の匂いを頬張り 滅法陽気だ
ドラム缶を叩き ひねもすカラスを追ったり
剪定した枝を抱えて 葡萄畑を駆け降りたり
時には大声をあげ人々を威嚇したりもする
毎年の収穫祭には
まちじゅうの人々が彼らとともに
豊穣の秋と人生を称え 酔い痴れ
山野を浮遊するのだ
そしていま 地下のトンネルの底には
熟成したワインが青白い光を放ちながら、
スパーリングを続けている
人生そのもののように単調だが
正確な斜度を要求するルミュアージュ
陽気な彼らも
この一瞬だけは 寡黙な修道士となる
唄いながら手をヒラヒラさせて舞い
山彦の啓示で突然瞑想にはいったりする聖者
彼らのつくりだす発泡する酒の不思議
透明なのに複雑で 律儀で怠惰な味わい
苦悩や傷、怯えを優しく抱擁し
酔いと漂いのなかに癒し 解き放つ
これはもう この谷間の森に住む
精霊たちの仕業にちがいない
(1995年5月)

会員には1995年春から毎年4本づつ届けられた。ちなみに我が家は孫の分と3口だから毎年12本、家族の誕生日にはきまって1本あけることになっている。

[世界一のソムリエ田崎真也さん来足]

1999年の10月下旬に世界一のソムリエ田崎真也さんが監修する「田崎真也のワインライフ」という雑誌の取材で、田崎さんと脚本家の内館牧子さんが、足利に来ることになり、半日ほど案内役を頼まれ、まちを一緒に歩くことになった。お目当ては勿論ココ・ファーム・ワイナリーであるが、その企画は、田崎さんが本格的な日本のワインづくりを進めようということで、日本の地方にあるワイナリーのコンセプトやそれを育てる「ひと・まち」のかかわり、歴史や文化、風土、食文化といったものを見、味わい、感じたことをレポートする。そのレポートをNHKの大河ドラマや朝ドラの脚本家で、ヒットメーカーで小説も書く内館牧子さんがするというのだから大変な話である。案内といっても観光コースというわけにもいかず。まあヤラセでなく普通我々が楽しんでいることをありのままに案内しょうと決めた。二人は鑁阿寺で護摩をたき、夕闇せまるまちを、まるで修学旅行の高校生のように歩き、骨董屋でアンティークなグラスを買ったり、居酒屋に寄ったりしながらも、街で知らない人に何度も呼び止められ、握手をしたり一緒に写真をとったりしていた。夜は夜で通常足利では滅多にそろわないメンバー(ちょっと変わった連中)で二人を囲んでの大宴会になり、談論風発、果てはピアノや合唱まで飛び出し大いに盛り上がった。それにしても少しも気取らず、気さくにその座を一遍に明るく楽しいものにしてしまう魔術師のようなチャーミングな内館さんと礼儀正しく、奢らず、己を律しまるで修行僧のような田崎さんの二人は、やはりその道の達人に違いなかった。

さて肝心のワイナリーの方は、山のテッペンでの昼食とティスティングは素敵なものだった。ブルースさんが、シェフと相談して一つ一つワインに合わせた料理やデザートをつくり陽光の降り注ぐインディアンサマーの空中レストランでのNOVOは、二人から絶賛を得た。デザートワインはブルースさんがこの日のために特別につくった「マスカット牧子スペシャル」だった。

この日ブルースさん、田崎さん、内館さんの三人の動きを見ているとワインとは味覚とか香りだけを味わうものでなく、料理や風や景色や人々の思いを一体化して楽しむものであるとつくづくおもった。特に障害をもった園生と二人の交流は自然で傍でみていても暖かく楽しいものだった。以前に、ブルースさんが「僕は日本にきて何処へいってもガイジン、ガイジンとして扱われた。しかしここにきて最初から園生は普通の人として受け入れてくれた。それがとてもうれしかった」と言っていたのを思い出していた。園生たちはこの二人のビッグ、有名人をいとも簡単に自然に受け入れて友達になってしまっていた。

「こころみ」が造ったワインの素晴らしさは勿論であるが、内館さんが後にワインライフのなかで「足利藩のワイナリーは童話の世界」と表現してくれたこの美しい自然と時空のもと展開されている天真爛漫な人々の物語が、田崎真也さんの共感を得て、後のNOVOのサミットへ推薦という奇蹟に繋がったに違いない。

[いよいよサミットへ、苦しい緘口令]

内館さん、田崎さんたちが足利に来て1ヶ月ぐらい後に、いろんな誌面でこころみのことが紹介された。来日したマライア・キャリーに田崎さんがココ・ファームの[NOVO1996]をプレゼントしたというエピソードも伝えられていた。恒例の収穫祭も無事終了して、12月になるといよいよワインライフの2000年特別編集号が出版された。勿論そのなかにはこころみ学園、ココ・ファーム、そして足利のまちが素敵に紹介されていたが、その号のなかの「実力派若手ソムリエがブラインドティスティングで選んだ『21世紀に残したい日本のワイン』」という特集のなか2部門でココ・ファームのワインが2位の評価を獲得した。

やがて年がかわり2000年の5月、ワイナリーでも足利まつりに呼応してイベントを実施したりしている矢先、とんでもない話がもたらされた。

それは沖縄サミットの晩餐会のコーディネイトを任された田崎さんが、その乾杯にココのスパークリングワインを使いたいと言ってきたのだ。世界の首脳の会議、そしてその最後を飾る(しかも20世紀最後の)晩餐会。過去のどの国で開催された席でもフランスシャンパーニュの最高級のシャンパンが使われたであろう。しかもお酒にうるさいシラク大統領もみえる。これから発売するワインで本当に良いのだろうか、それにしてもありがたいオーダーだ。

田崎さんは料理とのバランスや出席者を考慮、沖縄の気候や全体のながれなど、そしてなによりもそのワインのもつ物語性。たぶん我々には想像を絶する細かい配慮と演出のアイディアを積み重ねていたに違いない。何度もサンプルの注文を受け、ブルースさんもその度にそのワインの特徴がシチュエイションにマッチできるかを考えていた。我々もその話を聞いて、ともかくも田崎さんが、自分の演出どおりにことを運べるように、絶対に事前にいろんな雑音が入らないように、一切このことはことが終わるまで緘口令をひこうと申し合わせた。

いよいよ銘柄が決まった。田崎さんが選んだのは、日本の在来種の葡萄100%でつくった1996NOVOドゥミセックだった。やはり日本にこだわり、こどもたちのピュアで爽やかな素朴な味のするものだった。サミットの1週間ほど前に正式な発注があり、東京に12本、沖縄に24本、このワインづくりにたずさわったハンディキャップ(知的障害)をもったこどもたち(17歳から82歳)129人の名前とともに送られた。

このころになると、サミットに関する報道合戦が始まり、どこで聞いたのかワイナリーに新聞記者がやって来た。日頃いろんなことでお世話になっている人ばかりで、園長も苦渋の応対をしている。「こんな素晴らしいことはない。なんで隠すんですか」と、マスコミ関係者も必死だ。晩餐会に先立ち前日に行われたワーキング・ディナーでの料理やお酒が報道され、大きな話題にもなっている。

ついに晩餐会の3日前、冒頭の新聞記事が全国版の一頁に掲載されてしまった。

実はこの前日の7月16日には、創立以来の老朽化した施設が日本財団の援助で新築完成したお祝いと、こころみ学園の創立30周年記念祝賀会が開催されていた。知的障害をもったこどもたちやその父兄、学園の職員にとってこの日は、長い間の希望が叶った夢のような日だった。その席上川田先生は園生たちに「みんなが、一所懸命つくったワインがサミットで世界の首相や大統領に乾杯してもらえることになりました」と報告し、それに加えて「私たちは障害をもつた者でもちゃんとしたワインがつくれるということを目指して今日まできました。今日からは、障害をもった者だからこそ、まじめに、正直に、手抜きせず。効率や採算を度外視して、本物をつくることが出来るのだ。と胸をはって生きて行きましょう」と話された。父兄や居合わせた学園の理事たちから期せずして拍手がおこった。先生のスピーチは素晴らしいものだった。

誰もが感動の涙で目を泣きはらしていた。このことは祝賀会の取材にきていた記者のみなさんにも伝わった。そして翌日くだんの新聞記事となってしまった。

さあ大変なことになった。いろんなかたからワイナリーにお祝いの電話がかかってくる。知事さんの秘書からも電話があり、知ってる人からはなぜ知らせなかったと文句を言われる始末。普段なら全国版の新聞にのって大喜びの職員も大変なショックを受けてしまった。特にブルースさんは田崎さんのせっかくの好意を裏切ってしまったと大変な落ち込みよう。川田先生も身内に話したものが、こんな風になるなんてと早速田崎さんにお詫びの手紙を書いていた。我々もうれしいよりは、なにか大変なことが起こってしまったという気持ちで、早くサミットが無事終わってくれないか、ともかくそれまで静かに謹慎しているような2日間だった。

[美しき泡立ち上る!歓声]

ここで冒頭のシーンにもどる。7月22日、土曜日。午前午後と精力的に首脳会議を重ね、明日は議長記者会見ということで実質的には今夜の森総理主催の夕食晩餐会が最終のセレモニーとなる。しかも各国首脳に対する最後のおもてなしである。そこであのNOVOが乾杯に使われるのだ。

テレビの前に座った我々は、沖縄県サミット推進県民会議主催歓迎レセプションでカラフルでリズミカルな沖縄の民謡や沖縄出身の歌手の歌を楽しそうに聞き入っている首脳たちを画面で見ながら、いやが上にも緊張が高まってくる。

いよいよ首脳たちが歓迎レセプション会場から首里城の北殿に入ってきた。ちょっと狭い感じの会場の席についた首脳たちは、リラックスして楽しげでもあった。

やがて乾杯のために、シャンパングラスにNOVOが注がれはじめた。サービスをする田崎さんの後姿も見える。その手にあるのはまちがいなく見覚えのある濃い緑色のNOVOのボトルだ。

注がれたグラスには、なんとちゃんと小さな天使の光環が絶え間なく舞っているではないか、首脳たちが手に取ったグラスの中では、こころみの園生たちが急斜面の葡萄畑を登るときのように、嬉々として楽しげにたくさんの小さな泡が元気に立ち上っている。

森総理がグラスをもったまま乾杯の挨拶をされているのを、申し訳ないが早く終わって欲しいと心の中で願っていた。首脳たちがグラスを挙げてNOVOを飲み干した。思わず万歳である。

かくて奇蹟は起こったのだ。

[そして新しい夢を! 新しい奇蹟を!]

「こころみ」に行くと、いつも新しい奇蹟が起こっている。今回のことはたまたま世間を驚かせるような話だから奇蹟といっても納得してもらえるかもしれないが、普段はもっと不思議な出来事が起きている。たぶん我々がとっくの昔に忘れてしまったものがここにはたくさんあるからだろう。そしてその根源には夢があるからだろう。

いま「こころみ」には、川田先生やブルースさんを中心に新しい夢が渦巻いている。そしてそれは必ず実現されるであろう。そのとき人々は奇蹟というかも知れない。しかしその話は止めておこう、また新聞に載って大騒ぎになったら大変だから…。

でもちょっとだけ、耳寄りな話を最後までつきあってくれた方々に内緒で教えよう。

それはNOVOのラベルの秘密である。あのラベルにはシャンパンを最初に発見したといわれる盲目の修道士を称えて点字で表示されているのだ。このことはあのサミットの首脳たちも気がついていないだろう。

これで、少しは、こころみの谷には、奇蹟を起こす不思議な精霊たちがすんでいることを信じてもらえるだろうか……。

  (2000年・夏/元NOVO会員・木を植える人会員 グロワーズクラブ会員 中島粂雄)

沖縄サミット感謝状

●NOVO(のぼ)のできるまで